シャフハウゼン生まれ

スイスのジュネーブ近郊の町で誕生

腕時計

アメリカ式時計製造法

アメリカからスイスのシャフハウゼンへとやってきたふたりの若者は、合理的生産体制を追求するアメリカ式製造法とスイスの伝統的な職人技術を融合することを夢見て、 それがうまくいけば高品質な時計を大量生産することが叶うと信じていました。 安価なものを大量生産することは誰にでも出来ても、職人の技術を要する時計にそれを応用することは簡単なことではなく、故に新しい試み、挑戦でもあったのです。 そして製造された時計はアメリカに輸出して販売する計画もすでに立てており、そのためのインターナショナル・ウォッチ社がニューヨークに用意されていました。 当時のスイス産時計はほぼ全てが職人の手によってひとつひとつ作られていました。 工場のライン上でどんどん生産されるようなものではなく、手作業で製造されていたので大量生産もできず生産効率はかなり悪いと評判になっていたのです。 全て職人の手作業なので品質も完全に統一されておらず、なかなか味わい深いという人もいれば逆に不安定だと文句を言う人もいたようです。 そのころアメリカでは時計業界にもアメリカ式製造法が取り入られ始めた時期で、機械による時計の製作方法が確立されつつありました。 何種類もの時計に互換性を持つ部品を使用することで、機械による大量生産を実現させていたのです。 こういった分野はアメリカ人の最も得意とすることで、アメリカ中に時計メーカーが出現したのもちょうどこの時期と重なっています。 特にアメリカ東部では数え切れない数の時計メーカーが設立されました。

ライン川の流れ

ジョーンズさん達はなぜスイスの中でもシャフハウゼンを選んだのでしょうか。 他の時計メーカーはジュネーブに密集しているので、それにならいジュネーブを本拠地にしたほうがなにかと都合よさそうなものですが、ドイツ国境に挟まれたシャフハウゼンに彼らは一体何を見出したのでしょうか。 その理由はこの地を流れるライン川にあったようです。 ライン滝の上流にあるシャフハウゼンには当然ライン川が流れており、彼らの思い描く時計製造にはライン川が必要不可欠だと考えたのです。 川を流れる水を飲みながら時計を作りたい、瑞々しい景観を眺めながら時計作りをしたいという欲求があったわけではなく、水力発電を利用して工場を稼動させようという思惑がふたりの心には秘められていたのです。 暑い時には川で泳いだり血の上った頭を冷やすために川で泳げるようにこの場所を選択したのではなく、電力の供給を考えてライン川に目をつけたとはなんとも先見の明に優れた発想でいたく感心させられてしまうばかりです。 いくら大規模で立派な工場を建設しても充分な電力がなければ満足に大量生産することはできませんし、たくさん電力が欲しければたくさん電気代を払わなければならず工場の維持費も莫大な金額になってしまうでしょう。 そこでライン川の水力を利用した大規模発電所の建設が進められていたシャフハウゼンに白羽の矢が立てられたのです。 ここなら将来的にも電力の心配もなさそうだし長い目で見てもきっと安泰だろう、なんてったって水力発電だしね、というわけなのです。

水力発電所

当時のシャフハウゼンでは大規模な水力発電所の建設が進められており、近代的な工業が今にも始まりそうな予感が街中に漂っていました。 もしあなたの住んでいる町で大掛かりな水力発電の施設が建設され始めたら、きっと当時のシャフハウゼンの様子が分かってもらえるでしょう。 期待と不安の入り混じった雰囲気、でも不安よりも期待の割合のほうが高いので高揚した気分になりハイテンションで1日中過ごしそうです。 いうまでもなく1日でその気分が終わるわけもなく1週間や2週間、あるいは1ヶ月、長い人ならその施設が完成するまで毎日ハイテンションのままかもしれません。 もっとも浮かれてしまった人、ベストハイテンション賞を受賞できそうな人なら発電所が完成してからもしばらくは気持ちの昂ぶりが収まらず、陽気に歌でも歌いながら腕時計を外して踊りだすかもしれません。 そんな雰囲気に包まれていたシャフハウゼンで、ライン川の水力発電をプッシュする時計職人ハインリッヒ・モーゼルとふたりは運命の出会いをしたのです。 親切なモーゼルさんから水力発電を備えた工場を借りたジョーンズ達は、そこを拠点に新時代の時計メーカーIWCの原型をスタートさせます。 ドイツ寄りのスイスの時計職人、水力発電で稼動する時計工場、このふたつを合体させることで今までに例のない時計メーカーが産声をあげたのです。 アメリカ的な発想をスイスに持ち込んだジョーンズさんだからこそ、このような新形態の時計メーカーを立ち上げられたのでしょう。